感謝の意

旧日向別邸守って頂いた篤志家様  

                 こころより感謝の意を表します。
  
                                     

旧日向別邸保存会
                                  
一つの決意  平成21年4月12日、桜の花開く、春爛漫の熱海の一室で、「旧日向別邸保存会設立総会」が会員27名、記念講演会65名の参加者を迎えて開かれました。開催に先立ち一枚の写真が公開され、各自が「ある思い」を秘めて会にのぞみ「一つの決意」をもって終了致しました。


2009年4月12日 旧日向別邸保存会の設立総会が開かれ、全ての議案が承認、役員の選出もなされ活動の体制が整いました。

放置状態になっている現状を早期に打破し、この写真の時代状況に復旧すべく、熱海市民を中核とする会員達は「一つの決意」を行いました。

振り返るも、よくぞこの「重要文化財・旧日向別邸 熱海の家」が消滅の危機から逃れ、今!ここ熱海の地にあってくれました。
その危機から救って頂いた事、実行した篤志家への感謝の気持ちが設立した会員一同の思いでした。

これからの長い保存活動を始動するに際し、まず感謝し、その意をしっかり受け止めて進むことを祈念しこのページを掲げます。

タウトの悲しみ
  昭和11年9月20日「タウトの部屋」竣工時、親しい関係者が一同に集まり団欒しているこの写真、中央に腰掛けるブルーノ・タウトの思いは如何だったのでしょうか。豊かな才能を生まれ持ち、社会に認められつつも戦争という魔物に翻弄され来日したタウト! 直後の誕生日、桂離宮と出会い感涙し始まる日本生活! 伊勢、白川の各地を旅し日本の精神性と技に更に感嘆し世界に報じたタウト! 工芸活動を指導し多くの作品を残したタウト! 3年半という短い滞在の中で多くを行ったタウトですが、一つの悲しみがありました。それは最も愛して止む事のなかった建築デザインの仕事に恵まれなかった事でした。

タウトの宝箱  昭和10年4月5日。タウトは日向利兵衛を紹介され、即設計を受託する事となりました。それは、とても小さく、しかも半地下の内装だけのものでした。がタウトにとっては大きな喜びでありました。基本イメージ構築の早さ、地下への階段に始まるベランダへの巧みなシークエンス(移動に伴うドラマ性)の構築、内包と開放、透かし、日本伝統素材「竹」の採用、独自空間とそれらの連続性、巧みな色彩、材料へのこだわり、緻密なディテール(納まり)等、ギッシリ詰まった多様で個性輝く要素が小さな地下空間を満たしている事から想定できます。タウトは滞日中の建築への思いを一気にここに放出し、この「宝箱」に封じ込めました。

感謝そして保存宣言  こうして造られた日向別邸でしたが、当時の日本での評価は大変低いものでした。それは彼らが考え、望んだ表現主義的表現ではなく、「洋なるもの」と「日本」との「関連性」で見事に造られてしまったからです。
72年の時が過ぎた現在、タウト自らの予言通りその価値が見直されています。この意味では「タウトの部屋」は今!完成したといえます。 写真に写る「タウトの思い」とは、今ここに存在する「タウトの部屋」だと思うのです。

今!がなければ、タウトが願った完成はありませんでした。四分の三世紀の長きに渡り何とか保持されてきた中、突如湧いた存亡の危機から救い、今!ここ熱海の地に存在させて頂いたことへの感謝の気持ちは、言葉では言い尽くせません。旧日向別邸保存会は、熱海市民、日本国民、世界の人々の代表として「今!完成」した「タウトの部屋」の保存活動を行える喜びを感じつつ進めて参ります。
      
       一つの決意=旧日向別邸保存 をここに宣言します。   (保存会一同)

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