ふと昔のことを思い出したので、過去の日記を書いてみる。
初夏の富士山を楽しんだ僕は、箱根をひと走りしてから熱海へと向かった。熱海駅のパーキングにクルマを入れて荷物を手に夕暮の坂道を昇った。塀に挟まれた細い道は少し上るとすぐに下りになる。海へ向かって降りる下り坂はすでに日も落ちてすっかり暗くなっていた。地図を手に目的の家を探すがその場所には竹やぶのみ。思わず向かいの大きな邸宅の呼び鈴を押すがそこはある宗教の教祖の別荘で、僕の目指す家は向かいだと教えられた。振返って竹やぶ。暗い闇をのぞき込み、その奥に灯があることを見つけた。僕は黒い竹やぶに入って行った。
薮は深くはなかった。海を隠すほどの竹やぶが暗い影をその家に落としていたのだ。古い数寄屋造りの瀟洒な日本家屋。カラカラと戸を引いた。こんばんわぁ。遅くなりましたぁ。ちょっと変わったプランで玄関はまるでホワイエ。土間のソファの横に古い本がたくさん。右手に座敷があり、座卓には料理がずらりと並んでいる。「はいはい、お待ちしておりました」
管理人夫婦に2階の部屋に案内してもらう。細い柱、華奢な建具、しっとりとした土壁。とても質素だが贅をこらした家だ。1階に降りると座卓の料理が消えている。ソファで古い本を読む。建築と芸術の本ばかり。この家について研究された資料のファイルも見せてもらう。日大の古い研究資料だった。ひととおり家の中を見せてもらい、座卓に戻るとふたたび料理がずらりと並んでいる。どれも作り立てのアツアツ。信じられないくらい美味かった気がする。
夜が早い。2階の個室に戻り、窓からは、初島と月。船がゆっくりと移動していく。熱海駅から5分と歩いていないのにとても静かだった。夜風が心地よい。疲れていたのと料理が美味かったのと恐ろしく静かだったのとで、とても深く眠った。静かで美しい夜だった。
朝食を座卓でいただき、管理人兼料理人の主人と話しをした。虹色に輝く特殊な瓦は古い中国製のもの。すでに入手不可能でこれだけで骨董価値があるものらしい。この家のオーナーは補修用にかなりストックしているそうだ。経年劣化で割れてしまうからだ。風呂は大谷石。不思議なぬくもりのある風呂で、あふれたお湯がいつのまにか元の量に戻っている。そしてそのお湯はいつまでたっても汚れず新鮮なまま。素晴らしい朝風呂。風呂から見える清楚な日本庭園もまた美しい。
風呂の後、いよいよ地下室に降りる。この地下室こそが来訪の目的だった。ギシギシときしむ古い階段を、竹製の手すりを壊れやしないかとヒヤヒヤしながら掴んで降りる。地下室の天井には無数の裸電球。フロアは貼り方が面白いパターン。どれもとても痛んでいる。あまり良い状態とは言えない。かつての主人はここで卓球をしたらしい。隅に卓球台が畳んであった。平面図的にちょっとゆがんだ空間を奥に進む。ここは崖の人工地盤の下に造られている。さっきの日本庭園の下である。
地下室の一番奥には不思議な階段があり、数段の階段の上には一人分の物見台がしつらえてあった。かつてはここから海と初島を眺めたらしい。僕も昇って眺めてみる。隣の国有の土地から生えた伐採不可能な竹やぶしか見えなかった。それでも僕はCONTAXでたくさん写真を撮った。聞けば階段は斜めになったRC基礎をカバーするための苦肉の策だったそうだが、この単純で唐突な舞台が陰鬱な地下の空間を海を眺める装置へと変貌させている。海に向かって部屋は開かれ、さらに唐突な階段が下方への視線を拡大して海をグッと自分へと引き寄せているのだ。
昼も近くなり、管理人夫婦に厚く礼を陳べて僕は熱海駅に向かった。この家の名は日向邸。
日本家屋の設計は渡辺仁、地下室の設計はブルーノ・タウト。とても素晴らしい家だった。