日向利兵衛 と ブルーノ・タウト

 「日本インターナショナル建築会」の招きで来日したブルーノ・タウトであるが、建築設計に携わることは殆どなく、著作活動、工芸品創作にその大半が費やされていた。
そのタウトが唯一手掛けた建築物がこの旧日向別邸(日向利兵衛熱海別邸)である。
1935年4月5日、外交官・柳沢健は、設計の仕事のないタウトを気にかけていた。そこで事業の知り合いである日向利兵衛を紹介した。日向利兵衛はタウトを紹介されその日に地下一階の改修設計依頼しタウトもそれを受諾した。
日向利兵衛は大変な読書家で、紹介された時点ではタウトの存在は既に知っていたようである。また、東京銀座ミラテス(現在のショッピングセンター)でタウトがつくった電気行灯を購入してもいた。1933年10月25日 熱海の買収した土地は、渡辺仁に設計依頼し清水組よりに工事を依頼して既に本体、屋上庭園とも完成し既に住として使われ2年程となっていた。
もはや土地に余裕はないことから、苦肉の作として人工地盤の下部部屋を改修することとした。

そのデザインを気に入った日向氏と在日していたタウト氏は外務省外交官柳澤健氏を通じて出会います。

依頼に当たっては、タウトを大変尊重したのであろう、手際よく日向利兵衛は上多賀に民家を借り入れタウト夫妻に与え(1935年9月9日までここに滞在し設計業務を行った)、工事中は全てをまかせ完成まで現場(地下部)には降りることがなかったと言われている。


ミラテスマーク


当時のミラテス


購入した照明器具
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