施主:日向利兵衛

アジア貿易商人明治7年(1874)大阪の実業家「唐木屋」の一人息子として生まれる。幼名は利三郎。15歳で香港に渡り、現地の目本人商会に勤めるが、目本領事に説得され、帰国。第三高等学校、東京商業学校(現一橋大学)を1895(明治28)年卒業、同年家督を相続し、利兵衛を襲名する。以来、得意の語学と幅広い人脈を生かして、貿易関係で活躍をする。美術、建築に造詣が深く、自らも設計も手がけたといわれている。
昭和14年(1939)逝去。唐木屋というのは、紫檀、黒檀、鉄刀木などの銘木を輸入して家具を製造販売する商家である。ただの実用家具だけでなく高級家具、茶室や数奇屋造りの飾り棚や置家具など、きわめて工芸製の高い製品を取り扱う。材料の産地が中国、東南アジアでこれら南方との関連が深い。日向氏が南方貿易に活躍し、さらに建築や造園や美術に造詣が深いのは、このような育ちに起因しているところが大きいと考えられる。
活躍の場は、当時目本の重要輸出品だったマッチの原料のリンを輸入することでアジア貿易に足がかりをつけ、貿易商人として大をなして行く。彼の場合自ら経営するというのではなく、技術の指南や相談役といった貿易界のフィクサー的役割を果たすのを主としたが、東洋精糖、日新火災といったアジアがらみの企業にも経営者として加わったといわれる。
別邸完成の三年後、昭和14年9月、65歳で逝去。
日向利兵衛(ひゅうがりへえ 
1874〜1939・明治7年〜昭和14年)
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