用語解説
単語 解説
 あ 
上野伊三郎 上野伊三郎(1893〜1967)は、京都の宮大工の家に生まれ育った。大学卒業後1922年から1925年まで、ベルリンやウィーンに留学し、ウィーン工房を主宰したJ.ホフマンの建築事務所に所員として勤務したりしていた。そこでウィーン工房のデザイナーであったフェリス・リックス(上野リチ)と出会い結婚する。その後、二人は京都に居を構え、気鋭の建築家とデザイナーとして活躍することになった。1927年には、本野精吾らとともに「日本インターナショナル建築会」を設立し、上野は「代表」として活躍した。
 上野は住宅を中心に建築の設計を手がけ、当時京都で多くの店舗を展開していたスター食堂やスターバーといった店舗の設計も手がけた。中でも1931年のスターバーは、1932年のニューヨークの近代美術館(MoMA)で開催された、いわゆる「インターナショナルスタイル展」に、ル・コルビュジエやグロピウスらの作品とともに出品され、注目を浴びた。日本から選ばれたのは、山田守と上野の二人だけであった。
 上野は、機能性や合理性を重視し無装飾な白い抽象的な形態を用いた、いわゆるモダニズム建築を実現していたが、室内にはリチ夫人によってデザインされた装飾的な壁紙が用いられるなど、モダニズムでは捉えきれない側面も有していた。それは、伝統工芸の街京都に育ち、ウィーンへ留学した上野にとっては、ごく自然なことだったのかもしれない。
 残念ながら、現在京都には上野の作品はほとんど残っていない。島津邸(現・日本バプテスト病院)(1929年)(図12)と柳本邸(1929年)(図13)が残っている程度である。いずれも増改築が激しく、ほとんど原形をとどめていないが、わずかながらも当時の最先端のモダニズムの表現を感じることができる。
井上房一郎
 か               
 さ               
 た                
DOCOMOMO(どこもも) 1989年、オランダ、アイントホーヘン工科大学のフーベルト・ヤン・ヘンケット教授の提唱により設立された「近代建築に関する建築、敷地、環境の資料化と保存」の国際組織。DOCOMOMO
Japanは2000年 日本支部として加盟している
 な               
日本インターナショナル建築会 1933年に「日本インターナショナル建築会」を頼って来日し、1936年に離日するまでの間、京都や仙台、高崎に滞在したB.タウトは、日本で最も優れた建築家は吉田鉄郎と上野伊三郎であると、「日記」に何度も書き付けている。いずれも京都に重要な作品を残した建築家である。こうしたタウトの認識は、日本のモダニズム建築の最前線が、当時京都に複数実現していたことを認識させてくれるだろう。京都では、決して多くのモダニズム建築が実現したわけではなかったが、東京や大阪にも見られない独自の、そして先進的な作品が造られた。京都は、日本におけるモダニズム建築実験の地であったと言えるかもしれない。
 は               
 ま               
水原徳言
 や               
 ら               
 わ               
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