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上屋玄関側こタウトは木戸@を造り地下室への出入り口を容易にした。また、1階居間左側にも木戸Aが設けられていてどちらからでも「タウトの部屋」(地下)に入りことがでる。木戸@を開けるとカイトワインダー風の階段があり、1936年(昭和11年)当時としては比較的シンプルな構造となっている。木型階段の踏面(フミズラ)は3〜6oの反りがあり素足で踏むと足裏が踏面に吸いつく感触があり心地よく、かつ急勾配の階段(蹴上げ175x24段)をリカバリー(ノンスリップ)する目的が伺える。右側白漆喰塗り壁に取り付けられた手すりには、真竹(肉厚がある)が使用された。光沢の素晴らしさは真竹の特徴で、節がほどよいアクセントとなっている。(タウトは竹の日本らしさを以前より強調している)この竹製手すりを固定するブラケットは、やや細身だがグレードの高い仕上がりとなっている。
☆京都の光り物師の作か?
☆高崎市鍛冶町の鍛冶職人の作か?
手すりと段鼻との高さは約75p(基準72p)と使い勝手がよい。暗くなりがちな階段の両壁は、白の漆喰塗り壁で明るさを求め、階段天井の二段壁は大きくアールが取られ頭上の圧迫感を開放してくれている。(ドイツ表現主義時代のものか、1921〜1924)様式との折衷(エクレクティシズム)を見て取ることができる。
aより、左に扉がある
階段はフロアー(広間)に近ずくに従って左へ狐を描く造りになっている。コーナーの壁も同様に大きなアールとなっている。
右側は上部庭園を支える構造上から出来た風洞を、洋間上段にまで通じる倉庫として活用している。フロアー(広間)左側壁には外套掛けと、ビリヤードのスティク掛と思われる備えがある。その奥は、洗面所と便所(水洗トイレ)になっている。
階段正面(南側)には14本の丸竹(真竹)が銅線で固定され、吊環によって吊られ棕櫚縄を包み込むようにアクセントの役目を果たしている。竹は堅格子となり外気や明かりを取り込むスクリーンの役目を果たし、一際異彩を放っている。
bより、正面に火頭窓をみる
竹格子の中央にはアールデコ調とも見て取れ子柱と、上部はアーチ型の木製堅框とし、要石(キーストーン)風の設えがある。一見観音開きとも見て取れ、華頭風との指摘
の向きもある。
@階段の手すりは真竹で出来ている
(静岡県他多くの地域で自生している)
〔ブラケット=金具で固定されている〕
A壁は白漆喰塗り壁
(漆喰→消石灰に、すさ・ツノマタ・砂な
どを混ぜて練った塗り壁)
階段、踏面には2〜6mmの反りがある。
*漆喰
消石灰 生石灰に水を加えて作る白い粉末。
cより、段上に@の扉をみる
すさ 寸莎=壁土に混ぜて塗りこんで、ひびの入 るのを防ぐ、刻んだワラや麻ツノマタ浅い海の岩に生える紅藻類で、スギノリ科の海車,赤紫色または暗褐色で平たい。
dより、Rコーナーにし流れ、視覚の誘導を行っている
dより、R面の壁での誘導
(2)竹格子 火灯窓風(階段踊り場)アーチ型開口部
アーチ型開口部は、採光と通風を考えた竹格子(堅格子)となっている。
棕櫚縄(しゅろなわ)で竹を吊り、観音開風とした。
アーチ型開口部は木製の堅框とし頂部にはキーストーン(要石)風のデザインがある。銅線で固定され吊り下げられた竹は格子風のスクリーンとし、棕櫚縄はアクセント。センターに木製の桟を備えて遠目には観音開き風としている。
*火頭窓 (鎌倉時代1199年の禅宗建築からきたもので、上部が火頭形の輪郭をもった和風窓)
火灯・華頭 花頭・架灯
火灯口は茶室の給仕口を意味する。犬山市の有楽庵・序庵が国宝として有名・もと三井大磯別邸から移築)
(3)外套掛け(左壁) (ビリヤードのスティク掛け)
金具が重厚な造りになっている。外套掛けと、ビリヤードのスティク掛と思われる備えがある。その奥は、洗面所と便所(水洗トイレ)が移動された。
(4)トイレ(水洗トイレ)
床、壁に磁器質タイルを使用。便器の蓋についてはオリジナルか否かはハッキリしていない。
*水洗トイレ
因みに水洗トイレが我が国に最初に出来たのは、岩崎別邸(東京上野)といれている。1896年(明治29年)建築家ジョサイア・コンドル(英国)設計。
(5)竹壁 竹製の間仕切り壁
社交室の入口左側は竹製のスクリーンが取り付けられている。これは細竹が15mm間隔で竪張りにされ、上部は嵌め込んで棕櫚縄で固定している。透かし見ることができ、空気が流れ軽快感のあるものとなっている。 |
居間より
木戸より
広場の丸面コーナー
竹格子
竹壁 |