日本間   (ブルーノ・タウト設計)
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日向利兵衛のタウトへの依頼条件   その三、 純和嵐の間を造ってほしい。



日本間は、12畳広間、4畳上段、4段の階段からなり、加えて一畳の床の間、半畳の帳場で構成される。この日本間に関しては吉田鉄郎の助言が大きかったといわれる。

(1)日本間12畳
洋間との間に+150mmの床段差があり、引き違い襖戸4枚と筬(おさ)欄間でマジ切られている。
床の12畳はいも敷き(縦横に整列して敷く)としたために、畳縁が床刺しとなっている。(一般的に畳は床の間に対して縁が直角にぶつかる事はしない)
天井は猿頬面をもつ杉竿縁天井で、当初は桐の柾目をもつ波重ねとしていたが、日向利兵衛は神代杉に取り替えを指示した。(天井に桐の柾目を使うことは格式を重んじた数寄屋造りの長年の習慣であった。また竿縁は化粧材なので造作材と同じ材質の小角材を使う) 造作材にはベンガラ色を基調とした漆の艶消しとしており、檜の階段は洋間客室同様の造りとし、拭いぶきとしている。天井高は2,532mm、内法寸法は1,735mmとなっている。

開口部
南海側二間を開放し、障子四枚でとし障子を引き込むことで二間の開口部全体を開放している。障子は水腰の荒障子とし、桟は猿頬桟としている。また、障子の外側には、小さな縁が設けられ雨戸、戸袋が付けられている。現在、かつてあった雨戸はない。

床の間
階段左側(西側)の床の間は、本床と指摘する向きもあり、正式な床という意味と思われるが、これは茶室の側からとの表現であって書院造りにおける床の間を指している。
和室の床間
(1)床柱は糸面とりがされている(10oに糸面取り)
(2)台目畳(四分の三の大きさ=12畳より)に紋縁
(3)蝋色(黒色)の漆塗り框
(4)太めの落とし掛けは無目と同位置で面内としている
(5)目透かし天井に四分一
(6)見返し壁は仕上げ壁(本来は荒壁とする)
(7)高さ120pの狆潜り
  ※12畳の和室にしては柱が細い(90oに糸面取り)が、長押はない。
  ※付け書院がない

階段
ベンガラ色に拭いぶきされた檜の階段となっている。



壁は鶯色の土壁で腰が設けられている。四畳正面は、12畳の壁よりも黒みが濃いものとされた。(タウトは京都・下村邸の接客となり数回の宿泊を重ねている。下村邸茶室の壁は鶯色の同色系に変化をもたせたものであった。)
板戸
洋室との境をなす板戸は、鳥の子紙張り(雁皮(がんぴ)や楮(こうぞ)などの樹皮繊維で日本紙をすいたもの)で土壁より格調が高いと言われている。卵色の上等和紙を鳥の子紙という。
 ☆雁皮=暖地の山や丘に生える沈丁花科の落葉低木。(熱海で自生)
 ☆堵=山地に自生するクワ   
科の落葉低木。
☆ベンガラ(硫酸第一鉄を焼いてつくった赤色顔料・塗料に用いる)
    → 色に漆の艶消しで仕上げげてある。(柱や鴨居)

鶯色の土壁に和紙が腰張り
 ☆書院造りや茶室などが多い。壁の下段に傷などを防止する手段。
国宝=茶室如庵の、腰張りには古歴が使われている。(伏山市に移築)



帳場=平成17年1月11日・日向一郎氏(日向利兵衛氏の孫)から説明があった。
 (一見したところ、高座の升席とも見て取れるが、利兵衛氏の要求でつくられた)
階段の西端には、4畳に連続して3尺四方の畳敷きの張り出しが設けられる。張り出しの西壁面に書見棚(文机)が造り付けられ、南と東には高欄が回る。上段四畳の北面は、押板、東側の洋間・上段との間仕切は引違い襖戸2枚で上部は欄間、西側の五畳半との間仕切も同様、引違い襖戸2枚、上部は欄間である。天井は、竿縁天井で天井高2243oと低く押さえ、さらに上部に欄間を設けているために内法高は1670mと、屈まないと入れないようになっている。



上段の4畳の間は、タウト設計のスタンドを用いた。






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